「チェスをやってるといつも嫌になるのよ。熟慮の挙句、駒を動かす。あんまり熟慮したもんだから、世界で一番の静かさが部屋を通り抜けて行って、お相手はこっくりこっくり、船を漕いでいる。とうとう決心して、駒を動かそうと手を伸ばした私は、いつだってなんとも言えない気分に陥るの。私の心の中で声がする。『お前が駒を何処へ動かそうと、それよりももっといい手が他にいくらでもあるんだ』」
 <君>はそこで言葉を切り、溜息をひとつつく。そしてナイフとフォークを置き、ついでに七面鳥の羽根で作った特製のカツラも外して傍らに置き、話を続ける。
「色んなことが過ぎ去ってしまった。私は少し思慮深くならないとね。朝、半分まどろみながらスクランブルエッグを作ってると、私の人生から何もかもがこぼれ落ちてゆくのが見えるのよ。過ぎ去ったものはもう戻りはしないし、私もあなたも、もうそんなに若いとは言えない。もし老いぼれていくことがたまらなく不安になるのだったら、行き先を見極める努力を逃れるわけにはいかないようね」
 ソムリエがワインとグラスを持ってくる。乾杯の後で、<君>は笑いながら話をしめくくる。
「でも、私たちは喜劇に生きる人間なのよ!どんなに行き先を見極めてみたところで、結局は同じところをぐるぐる回るだけ。気付いたらまたぞろここへたどり着いて、あなたとブドウを踏んでるのかもね」

(岡田文弘『夢遊という散策』より抜粋)


名前は岡田文弘。字画でつけた名前ではない。
実家は日蓮宗の寺である。教意山妙興寺、黒田官兵衛の祖父の墓があることで知られる(司馬遼太郎の小説にも登場)。

1987年11月13日午後5時27分に、岡山県で生まれる。この年はちょうどバブルがピークを迎えた頃であり、僕が成長するに従って日本経済は凋落の一途を辿っていることになる。世間の人が言うには、僕がもの心ついてから今までずっと、この国は不景気なのである(らしい)。
また、昭和生まれの「ほぼ」最後の世代である。平成生まれの少年少女たちとの間に、見えない壁を感じることもしばしばある。
また、経済的観点のみならず、教育問題の観点からも見てみると、新課程第一世代であり、ゆとり教育第一世代であり、円周率を3,14として習った最後の世代であり、総合学習の実験体にされた世代であり、東大の足きりが過去最多であった年の受験生であり、センター試験に初めてリスニングが導入されちょっと迷惑した年の受験生であり、「とにかく基礎知識が欠けていて話にならない。常識も無い。君たちが将来社会に出て重要なポストについた時、この国は大丈夫なのであろうか。心配だ」というようなことをしょっちゅう年輩の方に言われる世代である。

岡山県で生まれたのは何かの偶然である。僕の両親は、僕が生まれる4年前までドイツで生活しており、現地で出産し我が子を帰国子女にするつもりでいた(のだと思われる)。しかし、結局異国の地で誕生することなく、田んぼと麦畑でいっぱいの(というかそれしかない)日本の片田舎で生まれ育つことになる。(この、幼少から青年期までを田園地帯で過ごしたことが、僕の精神世界の形成に多大な影響を及ぼしているのだが、それはまた別の機会に述べたい。)

二十歳を過ぎるまで海外に行ったことがなかった。
ちなみに海外初体験はインド旅行であった。

地元の小中学校に通った後、最近校舎を改装してアーバンな雰囲気になった岡山朝日高校に入学(※僕は改装前のレトロな校舎で三年間を送った。アーバンな高校生活は来世に期待したい)。
2006年、東京大学に合格。入学を機に上京し、渋谷に庵を結ぶ。
2008年、文学部日本語日本文学科へ進学。
2010年、東京大学を卒業した後、同大学大学院のインド哲学・仏教学科に進学。

小学校時代は演劇部、中学時代は剣道部、高校時代は文芸部(※三年時のみ参加)に所属。剣道はものすごく弱い。
全国学生書道展で三年連続理事長賞を受賞した過去を持ちながら、周りの人間からはよく「字が汚い」と言われる。

愛読書は、夢野久作『ドグラマグラ』、坂口安吾全集、ガルシア・マルケス『百年の孤独』、ミラン・クンデラ『不滅』、イタロ・カルヴィーノ『木のぼり男爵』、エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』、ジェイムズ・ジョイス『若い芸術家の肖像』、ボルヘス『不死の人』、高橋新吉『ダダイスト新吉の詩』、ヘミングウェイ『われらの時代』、内田百閨w冥途』などなど。

好きなミュージシャン/バンドは、フランク・ザッパ、たま、ピンク・フロイド、ピーター・ガブリエル、ダムド、早川義夫、TMBG、突然段ボール、キング・クリムゾン、レジデンツ、羅針盤、カーネーション、キンクス、四人囃子、人間椅子、ギャーテーズ、XTC、ルー・リード、キャメル、キャラヴァン、グル・グル、ザ・フー、ジェントル・ジャイアント、ジェスロ・タル、新月、大槻ケンヂ、ユーライア・ヒープ、ファウスト、モリッシー、トッド・ラングレン、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ヒカシューなどなど。

今までに見たことのあるギグはキング・クリムゾン、ソニック・ユース、レッチリ、ギャーテーズ、三上寛、石川浩司、突然段ボール、マニ・ノイマイヤー、ファウスト、ザ・フー、しょぼたま、四人囃子、ヒカシューなどなどなど。


いくつかの表現方法を目的と場合によって使い分けているが、その中心に据えているジャンルは小説である。
基本的に純文学志向である。

高校在学時は、「日常性と非日常性は、同一のものの同一の側面である(要は区別が無い)」という思想を基底として、幻想的色彩を持つ私小説風作品を執筆。数十篇の短編小説および処女長編「まちの小説」を執筆、後者においては田園風景の消失と地方都市の疲労を「非」論理的に書いた。
大学入学後、フランク・ザッパの「概念継続」的手法を導入した長編第二作「夢遊という散策」を執筆。古典文学や説話のパロディ・換骨奪胎や、非直線的な物語構造を実験する。さらに、説話文学の換骨奪胎という路線を引き継ぎつつ、「まちの小説」の世界観に回帰した第三長編「ゴーツヘッド・スープ」を2007年に完成。さらに、連作短編の技法を用いた第四長編「トンボ眼鏡の向う側」を2008年に完成。
一貫して追っているテーマは、心象風景の再現・ファルスと叙情性の共存・小説の解体など。
二作の長編はいずれも複数の挿話が交錯するオムニバス形式をとっている。これは「何の共通性もないように思われる事象同士が、複雑で有機的な関連を持つことで世界が構築されている」という世界観を、小説の構造に応用しているため。
「どんなジャンルの小説を書いているの?」と問われるのが非常に苦手である。強いて言えば、マジック・リアリズム小説。
現在、第二長編「夢遊という散策」を含んだ小説集『夢遊という散策』アートギャラリー雑貨店・ニヒル牛にて出品中。

小説の他に、も多く書いている。しかし、自分が詩人というスタンスをとっていると考えたことはない。
そもそも詩を書き始めたきっかけは、ロックのオリジナル曲を書く際に歌詞を書く必要に迫られたからという便宜的なもの。しかし、その後中原中也、小野十三郎、高橋新吉といった詩人の作品に傾倒するようになり、本格的に詩作を始めた。作品の多くはダダ詩、ナンセンス詩である。

音楽は、聴くのも演奏するのも作曲するのも好きである。
2009年末まで、ソロ・プロジェクト「エレクトリック・スーザン」名義で活動。十数枚の自宅録音/自主制作CD-Rをアートギャラリー雑貨店・ニヒル牛にて出品中。
また、2010年より一人バンド「住職」名義でライブ活動を開始六本木Brave Barにて初ライブを敢行。ピアノ弾き語りと、オケを流しながらのギター弾き語りの二本立て。

多重録音が大好き。以前はMTRを使用していたが、現在は8トラックレコーダーを使用している。確実に時代に逆行している。

プレイヤーとしては、ピアノ、シンセサイザー、エレキギター、エレキベース、ウクレレ、木魚(?)を演奏。
ピアノは四歳の頃から習っており、幼年時代にはピアノの教師を志したこともある(冗談ではない)。しかし、小学校時代に挫折する。以後暫くの間、鍵盤楽器に対して嫌悪感を抱いていたが、喜劇俳優チコ・マルクスのピアノ演奏に出会い再びピアノを弾き始める。(左手はひたすら伴奏に徹し、右手で曲芸的に弾くという僕の演奏スタイルは、完全にチコ・マルクスの亜流である)読譜は苦手だが即興演奏は得意。

エレキギターに関しては、オープンDチューニングで弾いている。
ライブでギター弾き語りをする際は、エレクトリック・スーザンの演奏を録音したオケ(要するに、多重録音によって制作したテープ)をバックに流しながら、擬似バンド演奏を行なう。

高校の時は音楽の時間にベースを弾いていたため、一部の友人間には「岡田=ベースを弾く奴」というイメージがあるようだが、実はさほど弾くわけではない。ベースを弾いている現存するデモテープはわずか数本である。しかし何かと思い入れのある楽器であるようで、2004年、突然ベーシストが脱退してしまった知人のバンドからピンチヒッターとして加入を持ちかけられ、かなり乗り気になる。しかしなんと承諾の返事をしたわずか三時間後にそのベーシストが復帰を宣言し、この話もあえなく立ち消えになった。
木魚は大好き。

は、幼年期〜小学校時代においては一番の関心事であった。中学校時代は小説と音楽に興味がシフトしたために遠ざかったものの、高校時代にまた描き始めた。
2003年以降の作品は、殆どがPCを利用して制作されている。

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